COMMUNICATIONS
「1987年」の共鳴と跨国史の地平
— 国際日本文化研究センターへの思い
2025年4月から2026年3月にかけての国際日本文化研究センター(以下、日文研)での外国人研究員としての活動は、私の研究者人生において単なる交流の枠を超えた、一つの「知の転換点」となった。それは、既存の問題関心や方法論を相対化し、新たな視座を内面化していく過程であり、同時に自らの学問的立脚点を再構築する営みでもあった。
一、 創設年(1987年)というクロノロジーの共有と学術的宿命
私にとって日文研は、単なる研究機関以上の象徴的意味を持っていた。日文研が創設された1987年は、奇しくも私が生を受けた年でもある。このクロノロジーの一致は、単なる偶然ではなく、一つの学術的なメタファーとして私の中に位置づけられた。
1980年代後半、日本文化研究を「国際的・超域的」な視座から再構築しようと産声を上げた日文研の歩みは、国際化の進展に関係した、「日本学」の一つの転換の象徴ととらえられている。それは、国家や文明の枠組みを問い直し、「日本」という対象を外部との関係性の中で再定義しようとする知的試みであった。一方で、私自身もまた、グローバル化が急速に進展する時代の中で教育を受け、国境を越える問題意識を自然に内在化してきた世代に属している。
この「同い歳」は、日文研という空間に身を置くことで初めて具体的な実感を伴った。図書館に入り、入口付近の書架に並ぶ膨大な研究成果、そしてそこに蓄積された四十年近くの議論の痕跡に触れるたびに、これまでに研究し続けてきた日文研の方々に対する尊敬の意も常に湧いて来る。私は自らの研究もこの優れた環境に恵まれていると強く意識させられた。日文研の書庫に沈潜する度に、史料を調べて読むだけではなく、日本研究のパラダイム・シフトを自らの身体感覚を通して追体験するプロセスであったのである。
二、 史料の深層と「他者視点」の受容
日文研が誇る膨大な一次史料、特に中日外交史、交渉史、軍事史等の関係資料集との対峙は、私に「沈黙する史料の声」を聞く術を教えた。日本の公式アーカイブに記された中国近現代史の多くの分野、領域に対する記録は、時として冷徹な「敵対者の目」によるものであるが、その精緻な記録性ゆえに、中国側史料の欠落を埋める不可欠なピースとなる。この「他者の視点」を一方的に批判の対象と捉えるより、歴史の立体性を復元するための鏡として受け入れるプロセスこそが、本訪学における最大の学術的収穫であった。
日文研の静謐な研究室において、私はこうした史料と向き合いながら、自らの研究姿勢そのものを問い直す機会を得た。それは、史料を「利用する」立場から、「史料と対話する」立場への転換であり、学問的誠実さとは何かを改めて考えさせる経験であった。
三、 桂坂という「トポス」が育む俯瞰的視座
京都市西部の桂坂に位置する日文研は、都市の喧騒から適度に距離を保ちながら、研究に没入するための理想的な環境を提供している。この地理的条件は、利便性の問題だけにとどまらず、研究者の思考様式そのものに影響を与えるものであった。
桂坂という「トポス」は、ややの距離感と、完全に閉ざされることのない開放性を併せ持つ。その絶妙なバランスの中で、私は日々の研究に集中すると同時に、東アジアという広域的な歴史空間を俯瞰する視点を養うことができた。また、四季の変化に富む自然環境の中で過ごす時間は、思索を深めるうえで大きな意味を持っていた。春の新緑、夏の時雨、秋の紅葉、冬の静寂——これらの自然のリズムは、研究の時間に独特のリズムを与え、思考を内省へと導いてくれた。時々、ハウス前の平地に可愛い鹿とサルもやってきて、より一層、日文研の多様性も実感できる。その上、日文研に対する恋しさも現れてくる。
結び:境界を越える研究者アイデンティティの確立
1987年に始まり、世界に開かれた日本文化研究を先導してきた日文研との対話は、私の今後の研究人生における揺るぎない基盤となるであろう。ここで得られた知見や方法論は、これからの研究において新たな問題を提起し続けると同時に、異なる学問的伝統の間を架橋する役割を果たすはずである。
そして何より、この一年間で築かれた人的ネットワークと相互理解の経験は、論文や業績といった可視的成果を超えた、持続的な学術交流の資産となる。中日両国の間にはなお多くの課題が横たわっているが、だからこそ、こうした学術的対話、交流、討論等が持つ意義は計り知れない。
日文研での経験は、私に「境界を越えて歴史を語る勇気」を与えてくれた。その意味で、この訪学は決して終わりではなく、代わりに新たな出発点となるのである。今後はこの経験を礎とし、より開かれた視座から東アジアの歴史を問い続けていきたい。そして、日文研との再会も絶対、遠い話にはならない。

日文研中庭の一角
撮影日:2025年5月3日(筆者撮影)

フフホトにて
撮影日:2026年8月1日(会議に携わってくれたスタッフさん撮影)


