COMMUNICATIONS
境界に生きる人びとをつなぐために
このたび、国際日本文化研究センターに特任助教(人文知コミュニケーター)として着任いたしました、劉洋です。
私の研究は、14世紀から17世紀にかけての東アジア海域を舞台に、戦争や海上活動のなかで国境を越えて移動させられた人びとの歴史をたどるものです。倭寇活動や壬辰戦争(文禄・慶長の役*)の時代、多くの中国人や朝鮮人が日本へと連れて来られました。私は、そうした人びとが異郷の地でどのように暮らし、言葉を学び、人との関係を結び直していったのかを、当事者の記録から読み解いています。
私自身、中国で生まれ、日本に留学し、イギリスで研究を続けてきました。生活と言語、研究環境が変わるたびに、自分の立ち位置を問い直す経験を重ねてきたように思います。そうした個人的な移動の経験もまた、人の流動性や、境界に置かれた人びとへの関心につながっています。
日文研は、日本文化を一つの枠に閉じるのではなく、さまざまな地域や視点と結びつけながら考えることのできる場です。ここでの研究や交流を通じて、専門的な知見を社会とつなぎ直し、人文知の営みが持つ広がりや面白さを、より多くの方と共有していきたいと考えています。
海は、境界であると同時に、行き交う場でもあります。海を渡った人びとの声に耳を澄ませながら、研究とコミュニケーションの両面で、日文研の活動に貢献していければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

1562〜64年、倭寇に拉致された中国文人・蔡景榕が生活していた寺院跡(現・鹿児島市松原神社)(筆者撮影)
*当該戦争は、研究史や地域的文脈によって多様な呼称をもつ。日本では一般に「文禄・慶長の役」と呼ばれるが、本稿では、近年の研究において本戦争を東アジア規模、さらにはマカオやマニラなどにも影響を及ぼした国際的な戦争として捉え直す観点から用いられている「壬辰戦争」という呼称を採用する。呼称をめぐる問題に関心のある読者は、川西裕也「『文禄慶長の役』呼称の再検討」(『韓国朝鮮文化研究』第21号、2022年、63–89頁)を参照。


