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COMMUNICATIONS

エッセイ

歴史家は史実を探る、過去への使者

マリア・グラツィア・ペトルッチ(外国人研究員)
2026年4月15日

 昨年の10月、日文研のご支援により、私は研究出張で九州に赴きました。16世紀から17世紀の九州海域で往来船を待ち受けていた船乗り、船大工、海賊を調査していたためです。これは私の専門分野であり、憧れの対象でもあります。九州では、10月を通して行われる祝祭文化の豊かさに目を見張らされたうえ、偶然にも、訪ねる街ごとにつぎつぎと祭を寿ぐことになりました。とはいえ、出張の目的は古文書保管施設をいくつも巡って研究を進めることなので、すべての祭を見聞できたわけではありません。

 とりわけ印象深かったのが、対馬です。14世紀から19世紀にかけて島主であった宗家は、交易から海賊行為、日本と朝鮮王朝を結ぶ外交に至るまでを担って巧みに立ち回った一族でした。その要衝の地、厳原は、私が思い描いていたイメージとはずいぶん異なるのどかな港で、路地には伝統的な屋根を見ることができます。到着したのは日曜で、現地の博物館の書庫は休館日でした。それでも八幡神社では、神が不在の神無月ゆえに神事が行われていました。 神官による祝詞、巫女が舞う神楽で祭の幕が開き、締めくくりの餅まきではご利益を願う参詣者が張り切って餅をつかみ取るのです。

「対馬厳原港」(筆者撮影)

 当日は祭に先立ち、小規模の資料館にいくつか出会えました。そのひとつは朝鮮通信使をテーマとして、通信使を乗せた船の模型や、朝鮮国王から徳川幕府将軍に宛てた書状類、京都へと向かう通信使一行の行列図などを展示していました。

「通信使が乗った船」(筆者撮影)

 朝鮮通信使は和平の仲立ち、通訳などの日本と朝鮮との間の取りまとめ役を担い、いくつもの危機を乗り越えるなど、極めて重要な仕事を果たします。隣国の情勢について報告し、情報交換もすれば貢物のやりとりも行いました。このような外交使節は政治的に重要な存在ですが、重大な事案を引き起こす場合もあります。1590年に朝鮮国王が派遣した通信使は、日本が朝鮮侵攻を企てているのか見極める任務があったものの、矛盾のある複数の報告を携えて帰国します。そのため国王が情勢の深刻さを軽視してしまい、朝鮮は日本の侵攻に対抗する備えをできないままとなりました。

 通信使の役割はこのように複層的でしたが、現代における歴史家も同様で、日誌、書簡、各種文書、物質文化、ものづくりの営み、あるいは考古学的な発見といった、断片でしかない過去の要素から、歴史上の事件や事態を再構成するほかありません。歴史家と同じく、通信使が頼れるものといえば自らの知識と直感でした。

 私は博士課程1年生の頃、大学院で《大おばアメリアの箱》という品を見せられたものです。由来不詳の箱で、「アメリア大おばさん」なる人の1920年代の写真が何枚かと、旅行記が1冊、身の回りの品がいくつか、男性(恋人でしょうか)と写った写真の半分、眼鏡が入っています。院生揃って、アメリア大おばさんが何者かを突き止めなくてはなりません。ところが、親族やシニアのご婦人方への照会を手を尽くしてやり遂げてみると、アメリア大おばさんの人生は我々が想像したほど波乱万丈ではありませんでした。旅行記は別人のもの、写真の男性はアメリア大おばさんの姉妹が結婚した相手で、ほかの品々は長年にわたって集められ、箱にしまわれたものだったのです。
つまりは「あらゆる小さな手がかりを吟味しつくさなければ、史実だとは宣言できない」、空想に任せる部分を残してはならないということです。私が当時の通信使だったなら、いったい何ができたでしょうか。

「通信使のコスプレをする筆者」(友人撮影)