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RESEARCH

共同研究「植民地帝国日本とグローバルな知の連環」

松田利彦(教授)
2021年10月15日

 “Viruses don’t respect boundaries.”(ウイルスに国境は関係ない)――コロナ禍の中でしばしば耳にするようになった言葉の一つである。歴史的に見ると、国家という枠組みを越えて感染症に対処しなければならないという考え方はかなり古くからあった。ヨーロッパで常設の国際衛生組織が設立されたのは1907年、国際連盟創設のはるか以前にさかのぼる。この国際衛生機構は第一次世界大戦後、日本を含むアジアにも波及する。しかし、そこには国際協力という美名のみでは語り得ない現実もあった。中国では、国際的な感染症対策の名のもとに国家・社会の改造を迫られた歴史がある。あるいは台湾や朝鮮などの日本植民地は、国際衛生機構の構成員として認められることはほとんどなかった。

 本年度から始まった本共同研究会のモチーフには、このような世界的な知識の伝播と連鎖、そして、そこに見え隠れする西欧-東アジア、独立国家-植民地の位階的な構造を読み解こうという考えがある。そこでは、医学者や衛生官僚によるネットワークのみに問題を限定するわけではない。宣教師による教育活動、西欧的知識を基盤にした宗主国の研究者による植民地の文化や言語に対する調査、植民地官僚による西欧植民地支配政策研究など、世界的な知の連鎖は多様な担い手と内容をもっていた。

 他方、主宰者としては、この共同研究をはやりのグローバルヒストリーの一つにおさめたくないという気持ちももっている。宗主国と植民地間の対立・緊張関係を主軸とするこれまでの植民地研究・帝国史研究と接点をもちつつ、それをより広い文脈の中から読み直してみたい、と言ったらよいだろうか。植民地研究を世界的な知の連鎖の中に位置づけつつ、かつ埋没させるのではない研究のあり方をこれから3年間模索していくことになる。

 

松田先生掲載画像(牛津学堂)

カナダから日本統治下の台湾に派遣された宣教師マカイ(George Leslie Mackay)が、1882 年に淡水に設立した牛津学堂(Oxford College)。台湾における西洋教育の先駆的施設となるが、西洋人宣教師と台湾人知識人、日本統治者の間には緊張関係も生じた。現在は、真理大学のキャンパス内で資料館として保存されている。