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RESEARCH

西洋音楽にうつる「日本」

光平有希(人間文化研究機構 総合情報発信センター 研究員[人文知コミュニケーター]/日文研特任助教)
2022年11月15日

 19世紀初頭から、西洋各国では日本を題材にしたピアノや歌による小品が、一枚刷りの大衆音楽楽譜(シートミュージックsheet music)の形で数多く出版された。これは、ドビュッシー作曲の交響詩《海》やストラヴィンスキー作曲《3つの日本抒情詩》など、有名なジャポニストによる作品に先駆けてのことである。ラジオやレコードが普及する以前、1920年初頭までの最も有力な音楽配信メディアとして機能したシートミュージックには、一体どのような「日本」がうつしだされているのか――その謎解きに取りくむべく、筆者は2017年より国内外での調査に乗り出した。調査に出向いた先々で、あらたな「日本」の姿、そして魅力を知ることになる。

楽譜画像

イタリア調査で出会った楽譜(撮影:光平有希、2019年)

楽譜画像(見開き)

 「日本」を冠したシートミュージックは、1810~40年代にギルドン作曲〈日本の調べ〉やバイエル作曲〈日本の舟歌〉など、ピアノ教則本の中で開花した。その後、1850~70年代は日欧の文化交流を背景にした作品が誕生し、大西洋の両岸における日本ブームのさなか、ルコック作曲《茶の花》や《コジキ》などの歌劇が世に出る。劇中歌は、家庭やサロンでも楽しめるよう簡易なピアノ伴奏にアレンジされ、シートミュージックや楽譜集となって世に出回った。1880~90年代には、西洋を巡回した日本軽業師の姿が快活な舞曲ポルカで彩られ、「ミカド」「タイクーン(大君)」「ゲイシャ」「ムスメ」など日本由来の用語を冠した音楽、絵画が登場した。

 1900年代に入ると日露戦争に触発された作品が出現し、西洋和声で肉付けされた〈君が代〉や文部省唱歌〈天長節〉も流布する。1904年に発表されたオペラ《蝶々夫人》の余波は、エドワーズ作曲〈蝶々夫君〉やサミュエルズ作曲〈チューチュー(蝶々)さん〉など新たなシートミュージックの誕生にも影響を与えた。1910年代以降は短歌や俳句の翻訳詩に基づく歌曲、さらに詩歌から受ける印象を器楽曲に落とし込んだ作品もあらわれた。

ポップなジャポニカ(書影)

 2022年3月、日文研が所蔵する楽譜資料200余点の楽譜を紹介する書籍を刊行した(『ポップなジャポニカ、五線譜に舞う―19~20世紀初頭の西洋音楽で描かれた日本』臨川書店)。10月には「お話と演奏 耳で感じるジャポニスム」と題したイベントで、実際にその「音」を体感する機会も得た。謎解きの旅路は始まったばかり、これからも続くであろう音楽を通じた新たな「日本」との出会いに胸を高鳴らせている。

演奏会の様子