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RESEARCH

「日本」という型

瀧井一博(教授)
2023年11月15日

 「日本型教育」についての共同研究会を行っている。いま日本の対外政策として、日本の教育資源やメソッドを「日本型教育」と銘打って海外に輸出する動きがある。それをどう捉えるかというのが目的だが、教育学者でもない自分が教育の研究会をやるとは実は思っていなかった。

 私自身は、これ以前から、「日文研プロジェクト」として「日本型国家の研究」という看板を掲げて研究活動を行ってきた。主権国家という西洋近代で生まれた権力装置が明治以降日本にもたらされ、どのように受容され、いかなる国家が形成されたか、またそれがいかに世界の他の地域に波及したのかを考えてみたいと思って立ち上げたものである。

 このような研究関心を抱くようになったのは、いくつかの要因があるが、そのひとつとして、以前にサダム・フセイン政権崩壊後のイラクから憲法制定の調査団が来日するので、講師を務めてほしいとの依頼が外務省を通じて来たことが挙げられる。その後、イラクでの自爆テロが激化し、日程調整がうまくいかなくなって、この貴重な機会は実現しなかったが、日本の歴史の使い道を考えるきっかけになった。日本の近代史、近代国家の形成史は、存外国際社会のなかで有用なものなのではないかということである。

 だからといって、日本の歴史や国家は素晴らしいと顕彰することは禁物だし、それ以前にもはや今の日本人にはそのように考えられるようなプライドは残っていないかもしれない。「日本型」と掲げて日本に何ができるかを考えるのは、内に引き籠もろうとする日本を外に連れ出す便法だと言えるし、また、「日本型」と限定することで自己の特性とあり方を外との交流と対話のなかで模索する試みとなる(また、そうしなければならない)。

 明治維新の際、木戸孝允は「日本を治癒するために、長州が良き道具となる」と語った。そのひそみに倣えば、世界のために日本が良き道具となること、そこに「日本型」を考える意義があると思われる。

 

(参考引用)文部科学省ホームページより

(参考引用)文部科学省ホームページより