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COMMUNICATIONS

エッセイ

「文明開化」像を補完する

アリステア・スウェール(カンタベリー大学准教授/元日文研外国人研究員)
2020年8月7日

 私のこれまでの明治維新期の研究は、かなり伝統的なアプローチを取っていたと言えるかもしれない。特定の人物に焦点を合わせたThe Political Thought of Mori Arinori: A Study in Meiji Conservatism (2000)(『森有礼の政治思想——明治期の保守主義研究』)や、明治維新とその後代への影響についてより広角的に捉えたThe Meiji Restoration: Monarchism, Mass Communication and Conservative Revolution (2009)(『明治維新——天皇制、マスコミュニケーション、保守主義革命』)などがその例である。

東京日々新聞566号、明治7年

東京日々新聞566号、明治7年[風俗図会データベースより](日文研所蔵)

 2019年7月から日文研で始めた研究プロジェクトでは、これまでの研究をとりまとめながら、近年盛んになってきた大衆メディアと大衆文化という視座を新たに導入した。「大衆文化と文明開化:幕末から明治への激動期における大衆メディアの位置及び役割」というプロジェクト名が示しているように、すでに論じ尽くされた感すらある明治維新像を、大衆文化の観点から問い直してみようという試みである。文明開化と言えば、現在でもまず思い浮かぶのは福沢諭吉であり、彼の『学問ノスゝメ』や『文明論之概略』によって普及していった文明や改良といった概念であろう。それに加え、同時代の学識者であった西周、津田真道、中村正直や、1873年に森有礼によって設立された明六社も想起されよう。ただこうした文明開化運動は、概ね「上から」の運動であったと言える。運動を主導したのは代表的な知識人や新政府の有力者で、彼らはしばしば家父長的な見地から、無知で御しにくい民衆を導き啓蒙することによって、海外でも通用しうる近代市民に育て上げようとしたのである。

東京日々新聞752号、明治7年

東京日々新聞752号、明治7年[風俗図会データベースより](日文研所蔵)

 こうした「上から」だけの歴史学的偏向を是正するために、近年、江戸後期文化のテクストやグラフィックの伝統が、明治初期の大衆メデイアに流れ込んでいるという、いわば「下から」の連動に着目する研究が目につくようになってきた。私自身も今回の研究プロジェクトにおいて、明治初期の戯作関連の諸文化に対する理解を拡充すべく、江戸後期の文化におけるテクスト、グラフィック、語り芸について調べてきたが、その伝統が、明治初期の文芸に相当多く継承されていることを確認した。現在まで主たる研究対象としてきたのは、条野採菊、高畠藍泉といった明治初期の戯作者たちである。彼らは落合芳幾や月岡芳年などの錦絵作者と組んで、「大衆向けの」新聞である絵をメインにした錦絵新聞や、ルビつきの仮名書新聞という媒体を開拓した。これらを、大衆文芸と流行文化を伝播するための末端的なメディアにすぎないと見なすのは表層的すぎる。「文明開化」を問い直し、調整するための「公共圏」を形成する上で、大きな役割を果たしたこともまた評価すべきである。こうした研究の意義を理解し支援してくださる日文研に対し、心より謝意を表したい。


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