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京都の端から、こんにちは 第58回

井上章一(所長)
2025年9月30日

 天龍寺は1340年代にいとなまれました。スポンサーは足利尊氏です。尊氏は後醍醐天皇をうらぎった武将でもありました。後醍醐が自分にうらみをいだいたまま死んだと聞きおよび、おびえます。亡き後醍醐が怨霊となり、自分をたたるかもしれない、と。

 尊氏は僧侶の助言ももらい、嵯峨に天龍寺をたてました。そこで、後醍醐の御魂をまつります。どうか自分たちをのろわないでくれ。安らかにすごしてほしい、と。嵯峨でそだった私は、幼いころから天龍寺のいわれを、そう聞かされてきました。

 尊氏と後醍醐だけではありません。日本に、自分がほろぼした敵の怨霊におびえる権力者は、おおぜいいました。恐怖のあまり、敗者を神にしたてあげたケースもあります。北野天満宮に天神としてまつられる菅原道真が、その典型ですね。仮想世界で宿敵を神格化し、かわりに自分の現実世界における利益をまもろうとする。そういう霊的なとりひきが、くりかえされてきました。

 こういう心性を共有する文化は、日本以外にもあるのでしょうか。このごろ、気になっています。うちの民族にもあったよという方がいらっしゃれば、ぜひお知らせ下さい。