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COMMUNICATIONS

エッセイ

動物愛護の翻訳問題

春藤献一(日文研外来研究員)
2023年4月14日

 はじめまして。私は、日本における、動物愛護に関する社会運動、法制度、行政についての近現代史研究をしています。そして、日本における人と動物の関係がどのように移り変わってきたのか、また、そもそも動物愛護って何だろう?ということを日々考えています。

 動物愛護という言葉は、訳語ではなく、1906年頃に日本で成立したと言われています。動物への配慮に関する訳語としては、動物虐待防止、動物の人道的取り扱い、動物保護、動物福祉、動物の権利や動物解放といったものがありますが、このように「動物愛護」ではない日本語で言い表せていることからもわかるように、どれも動物愛護とは違う意味、考え方を示す言葉です。

 そこで苦労させられるのが、動物愛護の翻訳です。

 日本には「動物愛護管理法」という法律がありますが、法務省の翻訳ではAct on Welfare and Management of Animalsとされています。法律の理念が動物愛護とは異なる考え方である動物福祉に成り代わってしまい、適切な翻訳とは言えませんね。

 私自身も、論文を書いたり発表をしたりするときに、「動物愛護」を翻訳することがあり、いつも苦労します。2023年3月に、国際日本文化研究センターの共同研究会「蜘蛛の巣上の無明」(研究代表者:稲賀繁美)の成果論文集が刊行され、ここで私は「蜘蛛は動物愛護の対象となり得るか」という論文を書きました。日本語で書いたものですが、英文タイトルをつけることになり、困ってしまいました。この論文は、「動物愛護」に特徴的な考え方と、蜘蛛との関係について書いたもので、どう考えても動物愛護でしか言い表せないからです。

 動物愛護の考え方では、動物の命をとても尊重します。動物を命あるものと考え、命を尊重する気持ちを、その動物の取り扱いに反映させる、という考え方です。一言で言えば、動物の命の尊厳を守る、ということですね。そこで今回は、「蜘蛛は動物愛護の対象となり得るか」を、Should We Respect The Spider's Life?と訳しました。動物愛護という考え方の特徴に立ち戻って、「私達は蜘蛛の命を尊重するべきか?」と言い換えたわけです。愛護を、Protection(保護)やWelfare(福祉)に訳すよりも、論文の内容が伝わると考えました。

 今回はうまくいったかもしれませんが、次の翻訳の機会には、またうんうんと唸ることが目に見えています。なお、どうにもならないときは、Aigo Cultureと翻訳して、動物福祉等の他の考え方とは違うものであることを示すことにしています。