COMMUNICATIONS
連載記事
京都の端から、こんにちは 第26回
井上章一(所長)
2022年11月29日
最近、「美貌の歴史と美術の歴史」という論文を書きました。美形とされる顔の歴史的な変化は、はたして美術作品から、たどれるのか。そこをつきつめた文章です。
いくつかの古い美術品を、その資料につかいました。このごろは、そういう作品の利用をゆるしてもらうのが、むずかしくなっています。所蔵機関や撮影者の許諾をもらうことが、きびしく義務づけられるようになりました。でも、パソコンをもたない私は、その許可申請が思うにまかせません。
けっきょく、私は鉛筆でそれらをうつしとりました。論文には、私の手書きによる鉛筆画を掲載しています。これならば、許諾はいらないだろうと考えたしだいです。
ですが、自分の画力を見せびらかしたいという邪心もありました。若いころには、デッサンの勉強をしたことがあります。どうだ、うまいだろうと、見得をきりたかったんですね。
ざんねんながら、その後、人文学徒の途をこころざし、デッサンはやめました。今回、40年ぶりでこころみ、かみしめたものです。画力はおちたな、と。それでも、せっかくえがいたのだからと、掲載にふみきりました。御笑覧下さい。