COMMUNICATIONS
パンデミックの年、日文研にて
2019年8月初めに日文研に到着した。携えてきた研究プロジェクトは、紀州藩の城下町和歌山の士族の家に生まれ、妻として、画人・日記作者として生きた川合小梅の生涯を本にまとめることだった。私は歴史を「地についた」視点から語りたいと思う。歴史を創った側の人物ではなく、歴史を負わされて生きなければならなかった具体的な個人の物語を書きたいと思っている。彼らは自分の境遇を自分の力でどれだけ変えることができたのか、さまざまな人生の岐路に立ったときどのような道を選んだのか、そしてその喜び、悲しみはどんなものであったのか。 歴史に埋もれて生きてきたこうした声なき人々のことを、私自身の兄弟姉妹のようにも思えるようになった。私に与えられた使命は、自分ではまずどうすることもできない境遇に置かれた誰しもに共通する「人間性」に光を当てることである。
日文研の研究者、事務職員の方々は、私の研究が円滑に進むよう労を惜しまず支援してくださった。また取り組んでいるテーマについて互いに意見を交換し、進展させる理想的なコミュニティーを提供してくださった。このようなすばらしい環境に身を置ける幸運をありがたく思う。私が京都を訪れたかった一つの理由は、小梅に関する研究資料のほとんどが所在する和歌山に近かったためである。最初の半年は、日文研から支給される研究費によって、毎月和歌山に行くことができた。「小梅日記を楽しむ会」に参加し、自分でもいろいろなリサーチを行った。こうして日文研、および「小梅日記を楽しむ会」の皆さんのご協力のおかげで、本の執筆もかなり進み、2021年に脱稿の希望が出た。
そこへ2020年2月、「新顔」が登場した。言うまでもなく、新型コロナウィルスである。おかげで、和歌山への旅行も、研究会も、ビールと食事と意見交換の懇親会も、ことごとく沙汰止みとなってしまった。誰にとってもそうであるように、私の家族と私にとって、パンデミック下での生活に適応していくことは、大きな試練となった。だが私は、プラスの面を見るように努めたいと思う。実際このパンデミックは、いくつかの重要な恩恵をもたらしてくれた。私は人生で初めて、歴史をただ研究するのではなく、今まさに歴史を生きているのだという実感を得ている。小梅も、1858年から翌年にかけて、コレラの流行に襲われ、その災禍の中で孫娘を亡くしている。彼女の日記に見られる感染症流行に対する恐怖と衝撃の記述は、はっとするような身近さをもって今訴えかけてくる。
パンデミックは、様々に予期せぬ方法で人々を結びつけてくれている。われわれは皆一様にこの奇妙で恐ろしい経験を共有している。そして動画テクノロジーによって、一地域のできごとをグローバルに伝えることが可能になっている。日文研の開催するオンライン集会によって、私のレクチャーを、日本中、世界中の研究者仲間に聴いてもらうことができた。さらに、飛行機が飛ばなくなり、私の日本滞在は図らずも延長されることになった。私は京都中心部から日文研ゲストハウスに転居し、おかげで毎日、教職員の方がたの思いやりとホスピタリティをこれまで以上に享受している。