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COMMUNICATIONS

エッセイ

喜ばしい近代化は甚だ遠くして甚だ近い

ハサン・カマル・ハルブ(外国人研究員)
2025年12月9日

 25年前に初めてエジプトから来日して以来、日本社会の奇妙な魅力に惹かれてきた。中でも功利性と合理性が共存し、なおかつ近代化に成功しているという事実は、いまだに定義不能な謎である。そこで、大阪大学で福澤諭吉らの合理主義を研究し、「これが核心だ」と思い至った。

 ところが、意気揚々と帰国しアラブ学界に研究成果を披露すると、福澤が横浜でオランダ語を使って通じなかったときと同じ種類のショックを受けた。アラブの研究者らが、「日本は東洋の国だ。西洋かぶれの福澤の合理主義は日本の本質を表していない」と、親切にも私の10年分の努力を一掃してくださったのである。

 2017年に国際日本文化研究センターに一年間滞在し、その恵まれた環境の中で、美濃部達吉、井上円了、渋沢栄一らに関する理解を一層深めることができた。そして帰国後、再度アラブ学会で発表すると、今度は以前とは対照的に圧倒的な賛辞が集まった。

 それは、まるで魔法のようだった。福澤の合理主義には眉をひそめていた彼らが、美濃部の天皇機関説には感動し、井上円了の公認教論には拍手喝采を送る。どうしても「東洋らしさ」を感じたい彼らにとって、円了の仏教ベースの近代、あるいは美濃部の法的秩序の中に見出される「伝統」の香りこそが、受容の鍵だったのだろう。渋沢栄一の『論語と算盤』にいたっては、「これこそ我々の目指す近代だ」と絶賛された。

 この体験を通じて、私はある確信を得た。文化とは常に鏡のようなものであり、人はそこに自らが見たい姿を映し出す。そしてこの一連の経験は、近代化論を志す私にとって、「甚だ遠くして甚だ近い」という言葉の意味を実感させるものとなった。

ミナレットが見守る近代日本: 福澤・渋沢・円了・美濃部
(画像左上:福澤諭吉/左下:渋沢栄一/右上:井上円了 国立国会図書館『近代日本人の肖像』(https://www.ndl.go.jp/portrait/)より
画像中央:アズハル大学モスク(筆者撮影)
画像右下:美濃部達吉 「1943年の美濃部達吉」Wikimedia Commons (https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Minobe_Tatsukichi_1943.JPG)より)