COMMUNICATIONS
「泣き虫ハァちゃん」の軌跡
丹波篠山で出会う河合隼雄先生の世界
八月のある晴れわたった週末、私は安井眞奈美先生に同行して、丹波篠山へ民俗医療に関するフィールドワークに出かけました。その時、案内役をしてくださったのは、かつてその地で鍼灸師をしていた友人の稲田健一さんです。稲田さんは計画を立てる際に、「日文研とも特別な関わりのある、とても面白い博物館があるのですが、見に行ってみませんか」と提案してくださいました。
そうして私たちは丹波篠山にある「篠山チルドレンズミュージアム」を訪れることになりました。これは、私が今まで見た中で最も可愛い博物館かもしれません。この場所はもともと多紀中学校でしたが、学校統合で閉鎖された校舎を活用し、子どもたちのための博物館に改築されたのです。館内には様々なテーマと機能を持つ展示部屋があり、子どもたちが日本や世界の児童文化を理解するのを助け、さらに多くの参加型の娯楽施設を通じて、子どもたちの自然や世界に対する好奇心を育んでいます。その中でも特別な展示部屋があり、それが今回の私たちの目的地でもある「河合隼雄の子ども部屋」でした。

「篠山チルドレンズミュージアム」内にある「河合隼雄の子ども部屋」の前と展示室の案内(筆者撮影)
河合隼雄(かわい はやお、1928~2007)は日本の心理学者で、京都大学を卒業しました。1962年に天理大学助教授に就任した後、スイスのユング研究所に留学し、日本人として初めてユング派分析家の資格を取得しました。その後、日本におけるユング心理学研究を確立し、「心」の領域における第一人者となりました。1965年、河合先生はスイス発祥の砂遊び療法を日本に導入し、東洋的な文化的含意を持つ「箱庭療法」と訳して、徐々に普及させていきました。その後、箱庭療法は中国や韓国など、他の国々でも広く普及するようになりました。1972年から河合先生は京都大学教育学部で教鞭を執り始めます。そして1987年の国際日本文化研究センター設立当初から併任教授を務め、1995年から2001年まで、第二代所長として、日文研の発展に大いに寄与されました。

「箱庭療法」についての展示(筆者撮影)
丹波篠山はまさに河合先生の出身地であることから、2017年9月、河合先生が名誉館長を務めたこの「篠山チルドレンズミュージアム」に「河合隼雄の子ども部屋」が開設されました。ミュージアムはこの展示室について、「ちるみゅー名誉館長の故・河合隼雄さんは、どんな子どもだったのかな?」と紹介をはじめます。
旧校舎を利用して建設された博物館であるため、部屋全体が昭和時代の温かく質素な雰囲気に満ちています。古く光沢のある木の床、心地よい机と椅子、乳白色の窓格子から差し込む温かな陽光は、訪れる子どもたちを河合隼雄先生の幼少期へと誘うかのようです。小さな部屋ながら、十の豊富な展示内容があります。壁面には河合先生の生涯の紹介や、友人たちによる面白い思い出話が展示されています。窓格子にはところどころに、時代を超えて心に響く河合先生の格言が散りばめられています。
部屋には河合先生の代表的な箱庭療法の展示があり、専用の砂箱や一式のおもちゃを見ることができます。その反対側にある本棚には、代表的な著作や、幼少期に愛読したという本が並んでいます。隅には「しゃべるやかん」という非常に面白いやかんがあり、蓋を押すと、河合先生の講演音声が流れます。その向かいの隅には、「河合隼雄テレビ」という河合先生の映像を再生できるテレビが置かれており、来場者は心地よいソファに座って往時の河合先生に出会うことができます。入口には非常にノスタルジックな参加型展示があり、河合先生の遺作『泣き虫ハァちゃん』の物語をもとに制作された紙芝居が置かれています。大人でもここで小学生時代に戻り、幼少期の河合先生の様々な興味深い経験を追体験することができるのです。

「しゃべるやかん」と『泣き虫ハァちゃん』の紙芝居の展示(筆者撮影)
丹波篠山から戻ってきた後、『泣き虫ハァちゃん』を読みながら、この旅の思い出を振り返りました。河合隼雄先生の書いた文章を追うと、丹波の美しく清らかな風景が目に浮かんできます。本の主人公ハァちゃんのモデルは河合先生御自身であり、おそらくこの物語は人生の最後の時期に過ぎし日々を美しく回顧したもので、子どもたちへの最後の贈り物でもあったのでしょう。ハァちゃんの心の世界は、喜びと悲しみ、勇気と臆病さ、強さと弱さ、安心と孤独といった豊かで繊細な感情に満ちており、そのリアルさと親しみやすさに驚かされます。
このような純粋で美しい物語を読んでいると、まるであの小さな博物館に戻ったかのようです。そこでは、温かな笑顔を浮かべた河合先生が、楽しそうにうろうろしたり、走り回ったりする子どもたちを見守り、時代を超えて子どもたちの「心」を、そして子ども心を持ち続ける「大きな子ども」たちをも守り続けているように感じられるのです。