COMMUNICATIONS
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京都の端から、こんにちは 第53回
井上章一(所長)
2025年4月22日
遣唐使のことは、ひろく知られているでしょう。 8、9世紀に日本から中国の唐へおくられた外交使節です。私はこれを中学生のころに、歴史の授業でならいました。
でも、おそわらなかったこともあります。それは、歴代の使節代表がイケメンぞろいだった点です。奈良と京都の王朝は、彼らのルックスにこだわりました。唐の宮廷で、日本の代表がかがやかしく見えることを、ねがったのです。
当時の中国では、美貌の中国人に「日本国使人」というあだながつけられたりもしました。遣唐使のようにステキだと、はやされることがあったのです。どんな人選をしていたかが、よくわかりますよね。
今は、こういうルックス至上主義がゆるされません。日本の外務省も、外交官を外見ではえらばないでしょう。そんな選別をすれば、世の指弾をあびると思います。
艶冶な容姿で、相手国の人びとを日本びいきにさせる。それが国益にかなうという遣唐使的な外交は、ありえなくなったと言うしかありません。いつごろ、どういうふうに消えたのかは、外交史研究のテーマになりそうですが。

月岡芳年『皇国二十四功 吉備大臣』(国立国会図書館デジタルコレクションより)
吉備大臣(吉備 真備/きびのまきび)は、遣唐留学生、遣唐副使として二度にわたり入唐した。