COMMUNICATIONS
パリとピラミッドのシンクロニシティ
――弥生の終わりに想うこと
大学院に進学した1982年に、パリ第7大学のジャクリーヌ・ピジョー 教授が京都に滞在された。中世以来の「道行文」を論じた名著、 Michiyuki-bun: poétique de l'itinéraire dans la littérature du Japon ancien を出版された直後のことだ。特別講義があり、国文学の佐竹昭広 教授と仏文学の中川久定 教授が同席した。ピジョー先生が、 intertextualité という当時注目の文学理論用語に触れ、ナカガワ、これは……と問いかけると、中川教授は即座に「間テクスト性、もしくはテクスト相互関連性と訳すようです」と応じた。
2023年3月、パリシテ大学と名を変えて間もないその大学に半月ほど滞在し、INALCO *1などと共同開催の『源氏物語』シンポジウムに参加した。パリシテ大・ゲスト研究者のタスクとしては「四方四季と三時殿―日本古典文学の景観と庭をめぐって」というゼミナールを担当したが、ストライキの影響で、オンライン開講を余儀なくされた。ところがピジョー先生は、大学に足を運んで参加され、なんと40年来の再会となったのである。
先生は、私のカウンターパート、ダニエル・ストリューヴ教授の恩師でもある。ゼミ終了後、3人で近くのレストランへ。だが、白ビールが届いたのみで、ほったらかしだ。しびれを切らして店員に聞けば、シェフがストライキで料理は出来ない、と言う。半ば唖然として、2軒目へ移動。南仏の赤ワインで食事をしてようやく落ち着き、じつは1982年に京都で…と、あの間テクスト性をめぐる想い出を伝えると、よく覚えてるわね、と先生も驚き、それから至福の時が巡った。
私のゼミの講義は、光源氏の大邸宅・六条院から、鴨長明の極小の方丈の庵の四方四季へと視野を拡げ、16世紀のイタリアの建築家、アンドレーア・パッラーディオのラ・ロトンダという丘の上の家との類似に及ぶ。ゼミの前々日、モンパルナスを散策していたら、同名の La Rotonde というカフェを見付けて驚いた、という奇遇も盛り込んだ。
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パリ・モンパルナスのLa Rotonde(筆者撮影)
時を経て、昨年の11月(2024年)、在職中最後の日文研海外シンポジウム(カイロ大学) で初めてエジプトの地を踏み、多くの見聞を得た。たとえば、エジプトの死生観では、ナイル川を挟んで東西に此岸と彼岸が隔てられること、また、そのナイルの西側、ギザにあるクフ王のピラミッドの四面は、ほぼ正確に東西南北を指している、ということなど。
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エジプト・ギザの三大ピラミッド、コンサートの準備中で機材も並ぶ(筆者撮影)
私の中で、それは『方丈記』の世界観とオーバーラップし、2023年3月のパリの感激が蘇った。ピラミッドとの遭遇は、あのとき再訪した、パリ・ルーブル美術館のエントランス以来だったからである。
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ルーブル美術館のガラスのピラミッド(筆者撮影)
そして、カイロ大学での私の発表は「エジプトというトポス」というタイトルのスライドで始まり、そこには期せずして「ああ、パリに着いたんだ!」という「絶対的な自由」の「幸福感」を回想する、鹿島茂『パリの本屋さん』序(2024年)を引用していた。やはり研究は、エンカウンターとシンクロニシティだ…。いつもの口癖を独りごち、ひそかに膝を打った。それは、2010年の日文研赴任以来、いくども味わったスリリングな体感だが、『方丈記』の末尾と同様に、この「弥生の晦(つごもり)ころ」でエンディングの一区切りだ。少しだけ、心細い。
*1 Institut National des Langues et Civilisations Orientales (フランス国立東洋言語文化大学)