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COMMUNICATIONS

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京都の端から、こんにちは 第51回

井上章一(所長)
2025年2月26日

 会議の場は、時に紛糾することがあります。日文研でも、以前はよくもめました。まあ、このごろは、あまりありませんが。

 もう、時効になっていると思うので、書きます。私は会議が膠着状態におちいった時、よく机の下でピアノの運指練習をはじめました。議論のやりとりからは背をむけ、個人的な稽古事にのめることがあったのです。

 前にも書きましたが、私は41歳になって、ピアノへとりくみだしました。もう、30年近くつづけていることになります。練習をしはじめた時は、指の反復運動でフレーズをおぼえたものです。音楽を理解するのではありません。体にたたきこんできたわけです。

 会議が同じ議論の応酬になった時を、私はその反復練習へあててきました。心のどこかでは、うしろめたく思いながら。

 しかし、その後、私は気づいたのです。そのフレーズをひくたび、当時の議題や論じ手の姿が脳裏へよぎることに。私は、会議の情景ごと、当該のフレーズを、指で記憶してしまったようです。その意味で、私は会議からそっぽをむいていなかった、参加していたんだと、言えますね。

 四半世紀ぶりの言い訳でした。