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COMMUNICATIONS

エッセイ

「平和憲法」を守ろうという願望

黄自進(外国人研究員)
2024年10月28日
 日文研で「冷戦期における日本外交:「平和国家」の構築を中心に(1952-1972)」という共同研究会を立ち上げようと考えたのは、「封じ込め政策」が再び国際政治学で流行りの言葉として現れたことに刺激を受けたからである。
 
 「封じ込め政策」が以前に流行したのは、50~80年代に至るまでの冷戦期であった。中国と対峙している台湾で育った私にとって、冷戦期というのは、常に、戦争の影で生活をしているという記憶しか残さなかった。したがって、「封じ込め政策」という言葉が再流行するようになったとは、台湾がまた、戦争に直面しなければならないことを意味していると考えられたわけである。
 
 冷戦期のアジアにおける、日本の最大の役割は、アジア諸国の政治社会の安定と経済成長を支援し、ナショナリズムの穏健化を図ったことである。そこにおいて、「平和国家」という日本の自己規定はアジアの国際秩序のなかでどのような意味をもっていたのか、それと同時に日本とアジアの関係は「平和国家」というアイデンティティーの形成にどのように反映されたのか。こうした問題を考察することによって、今後のアジアにおける平和の可能性を見出すヒントを得られるのではなかろうかという期待をもって、私は共同研究会を主宰してきた。
 
 共同研究会を1年間で4回開催して、計18件の発表が行われた。内容から分類すると、対外関係、歴史和解及び人物研究が中心であったが、特に注目されたのは、知識人や旧軍人が戦後に、「平和憲法」という枠組で、自国の安全をはじめ、平和的な国際環境をどのように構築し発展させていこうとしたか、という発表であった。彼らの例に照らしてみても、東西陣営が激しく対立している冷戦時期において、日本が平和憲法を堅持できたことは、いかに貴重であったかを改めて認識させられた。人類の理想的なモデルであると言われた平和憲法の精神を日本が永遠に維持してゆくことに期待する一方で、平和憲法の理念の維持を可能にする国際環境を築くことに周辺国の我らも奮起して努力すべきではなかろうか。

日本国憲法前文(1946年) 出典:国立公文書館デジタルアーカイブ