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COMMUNICATIONS

エッセイ

回想

朴才煥(日文研外国人研究員)
2024年9月17日

 昨年の7月1日は自分の還暦の誕生日だった。人生の大きな節目に当たる還暦に、日文研での外国人研究員としての生活が始まった。着任後、受入れ教官の荒木浩先生の共同研究会に参加しながら大学院時代の恩師のことが思い出された。

 大学卒業後1年足らずで会社勤めを辞め、東京外国語大学に研究生として入ったのが1988年だった。研究生修了後、東京学芸大学の修士課程に入学した。修士課程の指導教授は鈴木眞喜男先生で、とても厳しい方だった。授業は緊張の連続で、発表に対する質問が次から次へと飛んできた。答えられる範囲を超える難解な質問に何とか答えてようやく授業が終わる。そういう2年間の修行(?)の末、やがて自然と学問の道に進むことになった。先生はいつも学問の道に進む者は、常にどのような論文や本が出ているか、今でいう情報収集を心がけるようにと言われた。院生になってからは月に一回は必ず専門書店に寄るようにしていた。ある日、いつものように順番に書店巡りをしていたら二番目に入った書店で先生にばったり出くわした。定年間近の先生ご自身も、絶え間なく書店に足を運んでいらっしゃることがわかった。私が韓国に帰国してからは、年賀状や暑中見舞いなどで連絡を取っていたが、亡くなる数か月前に、体調を崩されて入院なさっていることを知り、お見舞いに伺ったのが最後になった。

 私が院生だった当時、東京学芸大学には博士課程がなく、近世語分野ご専門の柏原司朗先生のいらっしゃる東海大学に進んだ。非常に面倒見の良い先生で、細かなところまで親切に指導してくださった。私が大学教員になった後も柏原先生から度々手紙が送られてきた。ご自分の研究状況や学会の研究動向、そして、私の研究の参考になりそうな論文の抜き刷りやコピーが同封されていた。晩年には肺がんを患いながらも一生の作業をまとめられ、大著を残された。亡くなる半年ほど前、修了生数人と一緒にご自宅の近くで食事ができたことは幸いだった。

 どうして急に昔の思い出を語りだしたのかというと、荒木先生の研究会に参加しながら大学院生の時のことが思い出されたからだ。古典文学分野の権威のお一人である先生の情熱的なお姿を見ながら、自然と院生の時の恩師のことを思い出したのだ。今は、私自身、当時の先生方とほぼ同じ年齢で、定年まで4年ほど残っているが、言語文化学という新しい分野への挑戦が始まった。院生の頃に戻ったつもりでもう一度頑張ってみたい。

 外国人研究員として着任以来、荒木先生をはじめ、いろいろな方々に大変お世話になった。この誌面をお借りして深く御礼申し上げる。