COMMUNICATIONS
プロップの形態学の適用可能性――江戸後期の「敵討物」を対象に
ウラジーミル・プロップ(1895~1970)は、生物学において植物の形態の分析を行う「形態学」を文学作品の分析に応用したことで知られている。彼は自らの形態学的分類は全ての文学作品に対して有効であり、普遍的なモデルを創り出せたと考えていた。だが、実際のところ、数年間に渡ったプロップの研究活動は、たった一つの種類のテキストに集中していた。それは、アールネとトンプソンが作った物語分類(AT番号)では、300・749番、つまりドラゴン・スレイヤーの物語に相当する。*1
その後、ヨーロッパでは様々な構造主義学派が発展し、それぞれの国でプロップの方法論的限界を克服するための新たな分類が提案された。プロップの理論を起点に、独自のモデルが発展していったのである。当初、各国の研究者はプロップによって提唱された31の機能に基づいて、物語の形態学的な分解を試みた。ところが、それをヨーロッパの物語やFolklore(民間伝承)に適用するのは難しいということがすぐに判明した。その理由は、プロップがロシア民族の伝統に基づく民話のみを対象としており、20世紀初頭のロシア社会の基準に沿って成功した人間を描くことを目的とするものばかりであったからである。このような価値観は、他の社会、ひいてはその文学的表現に共有されていたわけではなかった。
それ故に、プロップの形態学を応用するためには、当時のロシア社会と人間的・社会的見方を共有する社会を対象とする必要がある。この観点からすれば、日本の江戸後期の「敵討物(かたきうちもの)」はプロップの解釈を用いるのに適している。というのも、敵討物の作品群は、その作品が書かれた時代的・社会的背景における成功者を描いているからである。敵討物の登場人物はほぼ武士であり、当時の日本社会の中心を占める社会集団であった。プロップの分析対象となったロシアの民話の登場人物がそうであったように、武士にとって身分を奪われることは社会生活から切り離されることに等しく、復讐によってのみ取り戻すことが可能であった。幕末の敵討物の主人公は、不当な扱いを受け、「本望を遂げる」ため苦しんだ末に成功を手にする。それは成功した人物を描く物語なのである。加えて、ロシアの民話も敵討物も定型的な構造を持ち、登場人物の役割が標準化され、プロップが機能と呼ぶ、固定された要素(物語のプロットを形成する基本的な行動の単位)の集合で構成されている。
裏返せば、このように敵討物を分析することによって、同じような特徴を持たないジャンルや異なる伝統を持つ文学において、プロップの形態学がどれほど適用しにくいかを理解することができるのである。
*1 アンティ・アールネ著『The Types of the Folktale: A Classification and Bibliography』(フィンランド科学文学アカデミー、1961年)