COMMUNICATIONS
口述筆記を通して文学を考える
文学が生まれる現場について考えるとき、私たちは無意識のうちに、一人で原稿用紙やパソコンに向かう書き手を想像していないだろうか。しかし実際には、身体的な理由(手指の麻痺や書痙、視力の低下など)によって自ら筆を執ることが困難な場合がある。書くことの困難に直面した作家たちは、自分が発話した内容を文字に書き起こしてもらう方法=口述筆記によって創作活動の継続を試みた。
今夏上梓した私にとって初めての単著『口述筆記する文学―書くことの代行とジェンダー』(名古屋大学出版会)は、これまで取り上げられることの少なかった、この口述筆記という執筆形態に焦点を当てたものである。日本の近現代文学を対象に、谷崎潤一郎や武田泰淳など実際に口述筆記をおこなった作家の創作実践と、口述筆記を物語の枠組みとする円地文子や大江健三郎らのテクストを中心に論じているが、私の問題関心は、書字の代行にジェンダーがどのように関与しているのかという点にある。筆記者の役割を担ったのが主に女性だったこともあり、口述筆記の現場には、性の非対称性に規定された権力関係が抜き差しがたく生起している。本書はこうした問題を踏まえたうえで、筆記者が正当な評価の対象として扱われず不可視化されてきた構造を、ジェンダーやケアの視点から批判的に考察した。
書く行為を他者に委ねることで成り立つ口述筆記は、通常とは異なる特殊な執筆形態であるがゆえに、創造性を普遍的価値と見なしてきた文学場の評価のあり方や、これまで自明のものとして共有されてきた作者観や作品観をそこから逆照射できる可能性を含んでいる。口述筆記をひとつの入り口にして、「書く行為とは何か」「書き手とは誰か」という、より大きな問題系に接続することを試みたが、とはいえ、本書で語り尽くせなかったことも多い。これからも書くこととジェンダーの関係をめぐって自分なりの問いを紡いでいきたい。