COMMUNICATIONS
「学問の山」に帰ってきました
2022年10月1日に研究部教授として着任しました。ですが、私のなかでは「帰ってきました」と表現したほうがしっくりくるような気がします。
20代の前半に故郷を離れ、京都生まれの画家富岡鉄斎について研究しようと、初めて日本の土を踏み、留学生活を送ったのはここ日文研に併設する大学院(総研大)でした。今、日文研の前に軒を連ねる立派な住宅の数々は当時はまだなく、遠くに修道院を彷彿させる日文研の建物を見ながら「桂坂センター前」のバス停から坂道を登っていました。ベルギー人の先輩、バルト・ガーンズさんが日文研のことを「学問の山」と呼んだように、ここへ来るのは、信者が霊山を訪ねるのに似たような心境でした。
大学院修了後も機関研究員や日本学術振興会の外国人研究員としてしばらく日文研のお世話になりました。多くの国の先生方とお話をし、桂近辺や京都市内にもよく一緒に出かけました。ふとした会話からそれぞれの専門分野や人間性の魅力が垣間見え、話が盛り上がると相手の出身国を忘れることもありました。今も仕事の合間に、コモンルームのお花や外の庭を眺めながら偶然そこに居合わせた人とちょっとした会話を交わすのが楽しみです。
私は近代日中美術交渉史を専門としています。近年の研究においては、中国人の書画コレクター・廉泉(Lian Quan)と美術史家・大村西崖との交流に感銘を受けています。二人は中国書画への共通の理解によって深い信頼関係を築き、大村西崖は廉泉の書画コレクションの日本での展示、譲渡に苦心し、廉泉も西崖の美術史研究を支えるのに労を惜しみませんでした。日中関係が悪化しつつあるなかでの出来事でした。
今後、仕事の上で多くの国際交流企画に関わっていきそうですが、実は「国際交流」という言い方には前から少し抵抗を感じています。国と国のサカイを意識させるこの言葉は、時には知的交流の濃厚さや同じ土俵で意見を戦わせる醍醐味を薄めてしまうことがあるからです。「日本文化」という共通の関心のもとに、異なる知識、文化背景を持つ生身の人間同士が集まり、身の上話から自然に始められるような、リラックスした交流の場が作れたらと思っています。