COMMUNICATIONS
異郷としての京都へ
“故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思うものこそ、完璧な人間である。”―12世紀の神秘主義的スコラ哲学者、聖ヴィクトルのフーゴー―(E. W. サイード著、今沢紀子訳『オリエンタリズム・下』平凡社、1993年より)
異文化や他者へのステレオタイプの情報を氾濫させるメディア、外国(人)に対する嫌悪感や差別を煽るインターネットの情報と出版物。2020年3月からの新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる世界危機で不安定化する国際情勢のなか、2022年2月ロシアのウクライナ侵攻等が続く不条理な日常。このような時代に私と家族は国境を越えて京都に来た。
数年前から準備していた日文研での研究は、日本政府の水際対策継続で半年以上遅れての入国から始まった。まさに、ジョルジョ・アガンベン(イタリアの政治哲学者)が警告した、コロナによる医療科学の神聖化、人間自由の抑圧、国家権力の強化、国と国、人と人との交流の弱体化という現実との直面であった。
幸いに日文研での研究生活は国際研究推進係の丁寧な対応と支援のおかげで順調だった。日文研は日本文化を国際的な視野で、学際的かつ総合的に研究していこうとする研究機関で、大学の雰囲気とは違って、研究者が研究だけに集中できるすばらしい環境を整えている。京都の西山連峰が北山に連なる麓で、隣接する桂坂野鳥遊園など自然豊かな住宅街に佇む建物は閑静な修道院のような印象であった。日本研究に必要な各種資料を網羅した図書館、コミュニケーションの場としてのコモンルーム、研究に集中できる研究室などが完備されたとても風通しの良い研究空間を提供している。
私の専門は比較文学比較文化および柳宗悦(1889-1961、宗教哲学者)研究で、現在韓国ソウルの世宗大学校国際学部に所属している。日文研での研究テーマは柳の京都在住期間(1924-1933)中の「民藝運動とライフスタイル」で、民藝ゆかりの地の調査や文献資料の収集を実施した。特に、杉山享司ほか著『柳宗悦と京都―民藝のルーツを訪ねる』(光村推古書院、2018年)、酒井直樹・磯前順一編『「近代の超克」と京都学派―近代性・帝国・普遍性』(以文社、2010年)という二冊の書籍から大いに示唆を受けた。因みに『柳宗悦と京都』の著者の杉山さんは現在東京駒場の日本民藝館で学芸部長をされており、私の東京大学大学院留学時代からのお付き合いで長年お世話になっている。日本民藝館の皆さんには心から感謝申し上げる。
柳は、自然から生み出された伝統的な手仕事による健康で素朴な活き活きした美を求めて、1920年代半ばに濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉らと共に『日本民藝美術館設立趣意書』を発表し、本格的な民藝運動の活動を宣言する。近代の危機へのコミットメントとして始まった民藝運動は、古都京都の生活の中から生まれた雑器に美しさを見つけ出す。健やかに長く続いてきた造形から、美と宗教と社会という複合的な概念としての「民藝」思想を提唱し、東西を超えた普遍的な価値として世界へ発信している。以来、1936年の東京駒場日本民藝館開設をはじめとして、日本各地に伝わる伝統工芸品を展示する民藝館が16カ所展開されてきた。現在、一般名詞となった「民藝」は各地の民藝館を通じて、日常に交わる丈夫で健康な美を見出して、用と美と信は一体であるという民藝思想を広げ続けている。その原点には京都を異郷として見つめ、雑器というモノを取り巻く場所・文化・他者を見出して、近代がもたらした諸問題を相対化し、より健全たる社会を目指した柳宗悦による時代への批評精神があった。
今回の私の半年間の京都滞在は、研究と家族生活を並行させた、とても有意義な経験であった。最後に、お世話になったカウンターパートの牛村圭先生と、日文研の事務職員の方々に深く感謝したい。そして片言の日本語を話す息子の奮闘ぶりを優しく見守り応援してくださった桂坂小学校の先生方と、日文研ハウスの皆さんにもお礼を申し上げる。