COMMUNICATIONS
中国における文化遺産保護活動の15年 ―文化遺産学の再構築に向けて―
私が中国の文化遺産保護に従事することになった背景には、1985年にスタートした東京大学と清華大学との国際共同研究がある。それは、東アジアにおける沿海部の都市と建築に関する歴史的調査であった。私は大学院生としてその調査に参加していたが、その目的が歴史研究に止まっていたことに違和感を覚えていた。
建築や都市の成立過程を広く東アジアという枠組みの中で捉えていくという“グローバル・ヒストリー”の視点には知的好奇心をそそられたが、対象となる個々の建築群の保護の問題については指摘されるに止まり、実践的な課題は取り残されたままであった。
いつしか、この思いは強まり、2006年9月、天津大学(教育部直属国家重点大学)からの招聘を受けたことを機に、中国に移住することになり、以来、丸15年に及んでいる。
さて、天津大学への赴任には、3つの目的があった。1つ目は、文化遺産保護のための研究センターを設置すること。2つ目は、実際の文化遺産の保護事業に取り組むこと(図版参照:筆者担当の保護計画)。3つ目は、文化遺産の保護を担う専門家育成のための教育プログラムの構築である。
研究センターの設置については、2年の準備期間を経て、中国文化遺産保護国際研究センターとして2008年に大学に正式に認可され、同時に、初代の主任(センター長)として学長より任命を受け、現在に至っている。
本センターの特徴はその名の通り、国際的な視点にたち、またその協力のもと、中国の文化遺産の保護にあたることにある。“国際”という言葉自体にはさほど新鮮さを感じないかも知れないが、文化事業はその国のアイデンティティと深く関わるため、今日でもなお新しい課題であることに変わりはない。
近年、中国国内にはイノベーションを図る目的から数多くの“協同創新センター”が誕生している。私はこの言葉の含意について、協同することでしか創新、つまりイノベーションは図れない、ブレイクスルーは起きないと解釈している。経験的にも、実際の国際的な協同作業を通じて、相互の認識が深まり、より高次の妥協点を見出すことに繋がっていることを実感する。
とりわけ、文化遺産をめぐる状況の変化は大きく、それに対応するためには、従来の教育プログラムでは最早(もはや)追いついていないのが現状で、学横断的なより総合的な教育プログラムの構築が求められている。その意味で、“文化遺産学”の再構築という遠大な目標を視座に据えたとき、日文研の研究基盤は大変魅力的なもので、いつの日か、日中共同によるプロジェクトの推進を夢見ている。